わが子が中高一貫校で得たもの

geralt / Pixabay

「私立一貫校」に対して身構えまくる!

今からちょうど六年前、この項で「わが家が中高一貫校を選んだ理由」という私事を題材とした拙文を書かせていただいた。

そして六年後、その中高一貫校に進学したところのわが子は、大学受験に臨んだ。はなはだ私的な話題で大変申し訳ないのですが、その中高一貫校ライフについて、そして大学受験について、この誌面を借りてご報告することで、これから中高一貫校にわが子を入れようかどうしようかと悩んでいる方々の参考に供したいと考える次第であります。

さて六年前に「わが家が中高一貫校を選んだ理由」であるが、その「わが家」は「私立一貫校に入れるのが当たり前」といったタイプの家庭ではもちろんなかったから、かなり悩んだのも事実だった。結果的に進学させた一貫校は、医師の家庭が二割以上を占めるといったような学校だったし、制服を買うにあたっても、その制服を取り扱う百貨店のクレジットカードを使い、「えっと六回払いまで無利子ですか? じゃあそれでお願いします!」と申し出た家庭は、全入学生の家庭のうち、おそらくわが家が唯一だったろう。ブルジョワ学校(死語)である青雲高校に無理してわが子・飛雄馬を入れた星一徹のような心境かつ経済状態だったのである。

また、たぶん小学校時代に海外旅行の経験がないのは入学者のなかでうちだけだろうと思い、海外(台湾だけど)に連れて行ったり、妻などは、送り迎えする際などにこれじゃ恥ずかしいかもしれないからと、長年愛用していて元は黄色だったのだけれど退色してもうほとんど白色になってしまっていた三菱の軽ワゴンを、本当に真っ白いフォルクスワーゲンに買い換えたりもした。つまりもう、「私立中高一貫校」に対して身構えまくっていたのである。

そういえば大昔、うちの隣に住んでいたご一家は、お嬢さんが東洋英和に合格したことをきっかけに、高級住宅地へと引っ越して行ったのだった。それくらいインパクトがある出来事ということです(笑)。

中高一貫校出身者と付き合ってみて

では、なぜそんな思いまでして私立の中高一貫校に入れたかったかといえば、やはり「充実した中高ライフを送らせてあげたかった」ということに尽きます。

僕は成蹊大という大学の出身であり、成蹊大はわりに「下からの子」が多い大学である。在学中は成蹊中高出身者とも仲良くしていたし、今でも付きあいがある。そして、地方の公立高校出身の僕からすれば、彼ら彼女らから聞く中高ライフというのは本当に魅力的だった。もし僕が結婚して子どもをつくるようなことがあれば、私立の中高一貫校に入れようと、大学時代にすでになんとなくだが決意していたのだった。

僕自身は、公立中に通っていたときは高校受験高校受験と言われて過ごし、公立高に通っていたときは大学受験大学受験と言われて過ごした。でもってそういうふうに上から、それが至上課題のように押しつけられるのが嫌で嫌で仕方がなく、そこへもってきて大学に入学したら「下からの子」との付きあいが始まったものだから、自分の子を中高一貫校に入れたいと考えたのは、まあ自然なことじゃなかったのかなあとも身勝手ながら感じております。

余談ではあるけれども、僕も中学受験の経験があるし受験塾にも通っていた。なぜ、中学受験を目指したのかといえば、父親の体験にある。

父は地方テレビ局の東京支社で報道記者をしていたのだが、その当時、時の人であった某評論家へのインタビューを取りつけることに成功した。で、いろいろ聞き出そうともくろんでいたところ、インタビューに許された一時間ほどの間、ずーっとその方の息子さんだかお孫さんだかが名門・麻布中に合格したという自慢話を聞かされたあげく、有為なるコメントは取れなかったらしい。

そのあたりの事情は小学生の僕にはわからず、リタイア後に父が書いた著作などで知ったのだが、ただその当時、父がこんなふうに言ったことだけは覚えている。

「アザブというのはそんなにすごい学校なのか。お前も、その中学受験というものをしてみるか?」

僕としてはまったく異存なかった。クラスの秀才たちが通っている「ジュク」というものに興味があったし、できれば僕も、そういうところに行ってみたいなあとは、なんとなくだが思っていたからだ、

というわけで、その憧れの「ジュク」というものに通うことになった。当時は塾というよりもテスト会で、日曜日にテストを受けて次の週に採点返却され、それについての解説を受講するというものだった。しかし僕は、そのテストにまったくもって歯が立たなかった。小学校のテストとはまったく別モノだったのだ。毎回、二割か三割くらいしか得点できなかったように記憶している。

ただ、そうした塾に通うことで、今までとは違うタイプの連中と付きあうことができた。塾には「学力的秀才かつ文化人」みたいな人種がいて、非常に興味深かったのだ。で、そうした環境のなか、音楽や映画やファッションや反戦運動(?)に目覚めた僕は、勉強のほうはまったくおろそかになってしまった。受験塾に通ったがゆえに勉強から心が離れてしまうという、まあ、お馬鹿によくあるパターンにはまってしまい、当然ながら中学受験も記念受験の域を出なかった。

だから僕には中高一貫校通学の経験はないけれども、ただ、その入学予備軍との付きあいはあり、前述のように大学進学後は、中高一貫校で過ごしてきた人間との付きあいも濃かった。そして自分が一貫校受験に失敗、というよりもほんのちょっとだけ触った程度であっただけに、一貫校というものに対して強烈な憧れとコンプレックスを持っていたのだ。だから、どんなことがあっても、もう絶対に、なにがなんでも、自分の子は私立の一貫校に入れたかったのであります――私立中高一貫校の教職員の皆さん、世の中には、こんなにもいじらしくも健気な心持ちで(自分で言うことではありませんが)、わが子を受験させる親だっているんですよ!

親の感情的感傷的理由が齟齬を生む!?

ともあれ僕は、一貫校のシステムが合理的であるとか、いい大学に合格できる可能性が高いとか、そういうことではなく、かなり感情的あるいは感傷的な理由で、自分の子を私立一貫校に行かせた。

で、その「感情的、感傷的」な思いが、今考えれば、齟齬を生むことになった。

僕は、わが子に「中高一貫出身者の雰囲気」というものを身につけてほしいと考えていた。繰り返すが、憧れとコンプレックスの現われだ。ちなみに僕の三十年来の仕事仲間で飲み友達に、Mさんという、小学校から高校まで暁星という人がいて、わが子には「あんな人になっちゃ駄目だよ」と冗談混じりでよく言い聞かせているのだが、ただ僕自身は、そのMさんが発する“究極の一貫校生”の雰囲気に今でもとても憧れている(仲間うちでは「LEON・M」と言い習わしているので、だいたいその雰囲気はご理解いただけると思います)。

ただし、結果的にわが子はそうした「中高一貫の雰囲気」に染まり過ぎたのだろう。「あのさあ、別に○○(学校の名前)にいたって、だからといっていい大学に行かなきゃならないってことでもない。て、○○(友人の名前)が言っていた」みたいなことを言い出すようになった。いや、そりゃ○○ちゃんは成績も優秀だし、実際今春、超難関にも合格している。学力と自我のバランスが取れているのだ。だからそんなふうな人の意見を参考(?)にされても困ってしまったのである。

ともあれわが子は、なんとなく文化的香りの高い一貫校に通ったがゆえに、いろんな方面に目が向き、結果的に勉強に対して心が離れてしまったようだった。僕が受験塾で経験したこととまるで同じことをやっちまったのである。

しかし一貫校のいいところは、指定校推薦枠をたくさん持っていることだ。大学の附属高でなくても、それと同じ機能を期待できる。だから一般受験が難しいようなら指定校推薦で大学に行けばいいと親的には考えていた。が、それは本人が拒否。「本当に自分がやりたいこと」ができる学科がない、というのである。

ほら、出ましたね。この「本当に自分がやりたいこと」というのが、なかなかのクセモノである。

だいたい、たいして情報がないのに、そんなことがわかるわけはない。と、大人は思う。しかしながら一貫校では、周りの雰囲気によって、あるいは自分のことをあれこれ考える時間があるがゆえに、必要以上に「本当に自分がやりたいこと」に思いを馳せる傾向がある――高校受験を経て高校に進学すれば、そんなことを考える余裕さえなかっただろう。

もちろん、「本当に自分がやりたいこと」が学力を育ててくれるという側面は確かにあるのだが、うちの子は、学力的裏づけもないのに、そうした自我だけが育ってしまった。そして、「本当に自分がやりたいこと」ができるであろう大学学科をいくつか受験。そのうちの一つ(皮肉にも成蹊大だ)は直前模試でA判定も貰っていたのだが、結局、全滅した。

わが子が中高一貫校で充実した学校生活が送れたことは間違いない。大学進学にしても指定校推薦を使えば、なんの問題もなかった。

ただ、何度も繰り返して恐縮ですが、僕が一貫校に抱いている憧れやコンプレックスのようなものをわが子が微妙に感じた結果、学力の裏づけのない自我が育ったのかなあとも考えてしまうのである。そして学力のなさとは、やはりDNAに起因する部分も大きい。てことは、なんだ、みんな俺が悪いんやん。

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