「あなたが東大に行かないと日本が悲しむ」は本当か?

「東大よりも医学部」指向が顕著に

以前、某予備校の「東大を目指す人」対象のパンフレット制作に関わらせていただいたことがある。そのとき、東大サイドのリアルな意見を間接的にだが聞くこともできたし、現役東大生にも数多くインタビューした。その経験から僕が感じ考えたことを、ここでは徒然なるままにつづらせていただき、これから東大を目指そうとする人、なんとなく東大に興味がある人、東大か医学部か迷っている人、あるいはそうしたご家庭の参考に供したいと思う次第であります。

まず、話の前提として言っておかなければならないのは、今は、東大か医学部かといえば、圧倒的に医学部指向になっているということである。

ではなぜ、「東大よりも医学部」なのかといえば、そりゃあ保護者視点で考えれば、すぐにわかる。東大を出ても就職できない学生は山ほどいると聞くし、また院に進んでも「末は博士かホームレス」というふうに言われ、これは揶揄ではなく現実であるところがおそろしい。一方、医学部医学科を出れば一応は将来安泰だ。

こうしたことは、医師の社会的地位が高いとか高収入であるとか、そういうことだけでなく、もう社会構造的にそうなのであって、医療界は今、大きな消費マインドが働く分野だ。現在の日本の消費マインドは、若者の「お洒落したい」「いい車に乗りたい」「いずれは持ち家」を、高齢者の「いつまでも若々しくいたい」「健康で長生きしたい」が圧倒的に圧倒している。そしていつの時代も、消費マインドが旺盛な業界に優秀な若者は向かう。

ご存じのように今、医療費総額は税収の三分の二を占めるようになっている。このことについては、なにやら、自分の尾を自分で食べる怪物ウロボロスの姿が連想され不気味ではあるのだが、ただ、どうせウロボロスならば、食べられる尾っぽよりは食べる口の方に、わが子にはなってほしいというのも保護者としての素朴な思いだろう。

ただし、そういうふうに、優秀な人材が一方的に医学部に行ってしまうことを危惧する声も、教育関係者のなかにある。「日本の優秀な頭脳が医学部ばかり目指していたら、日本はどうなってしまうのだろう」という思いからだろう。「あなたが東大に行かないと日本が悲しむ」というわけだ。

そして重要なのは、その東大自身も危機感を覚えているという事実だ。だからこそ、「東大を目指す人」のためのパンフレットをつくろうという予備校に協力することになったりもする。

と、前置きが長くなってしまい申し訳ありませんが、ともあれこれから、僕が、東大生をインタビューして感じたことを述べていきたい。その第一は、東大合格者たちはみんな素直である、ということです。

東大を目指す若者たちの現代的特性とは

むろん、僕がインタビューした東大生たちは、予備校が“推薦”してくれた人たちだから、性格的なことも考慮されたのだろう。しかし、そうしたことを踏まえても、もう圧倒的に素直なのである。「素直な子ほど学力が伸びる」は、やはり真実なのだとあらためて感じ入った次第だ。

むろん今の若い秀才たちが、自分の才気を韜晦する術を本能的に身につけていることは、僕とても知っている。しかし俺だって百戦錬磨の取材者だぜ、そんな韜晦なんぞ一発で見破ってやるぜうふふふふふふふ、という心持ちでいささか気負って(自分の頭脳にコンプレックスを持つ人間が、東大生のような学力エリートに対峙するときに陥りがちなことですが)インタビューしたのではあるが、いや、実に彼ら彼女らは、まったくもって素で素直でした。

では、そうした素直さが何によってもたらされたのかといえば、それはやっぱり家庭環境なのだなあ、と、しみじみしてしまった。僕がインタビューした東大生たちの大部分は、名門と言われる私立中高一貫校出身である。つまり、その保護者は、一貫校の学費を払いながら予備校にも行かせていたわけだ。実際、東大の学生の保護者の多くが年収一千万以上などと報じられている。そして、そうした経済的な余裕こそ「素直さ」をかたちづくる源泉ではないか、という、いささか残酷な推論に行き当たり、経済的余裕がない僕は、わが子の性格形成のことを考え悄然としたのである。

それはともかく、東大入試というのは、実に特別だなあ、という思いを強くしたのもまた事実だった。

というのは、文系であれば、文系の数学が必要だからだ。たとえば、誘導がある三項間漸化式は数ⅡB内容(=文系試験)で、それがないのは数ⅢC内容(=理系試験)だという。そして、「誘導がないバージョン」の問題は、こと東大入試に関しては、「理系数学力で文系問題も解ける」といったものではないらしいのですね。だから、文系数学専門の対策が必須になる。東大文系二次の数学は、440点満点中80点で、ゆめゆめおろそかにはできないのである。

さらに、漫画『ドラゴン桜』でも語られた通り、東大入試は、教科を問わず部分点勝負という側面がある。すなわち、正答を出すことがかなわずとも、「ええ、私(=受験生)は、あなた(=出題者)の意図を理解していますよ」という表明をしていくことがポイントだ。そのためには、問題の本質を理解する能力を備えているのはもちろんだけれども、テクニックも必要である。

また、こんな話も聞いた。

「東大の過去問題を解いていて疲れると、慶応の過去問題を解いて頭を休めていました」

そのココロはといえば、東大の問題は、「何を問うているのか」ということにたどり着くまでがまず大変で、一方慶応の問題は問題の中に情報がたっぷりあるので、何を問うているのか考えなくていい分ラク、というものだ。

これは、一貫校出身のいかにも育ちがよさげな東大生の口から発せられたもので、気障にも嫌味にもまったく聞こえなかったから不思議だった。

むろん、話を聞いた東大生の中には公立進学校出身者もいた。そのうちのひとりは、理一合格だったのだが、得点開示では理三合格レベルに達していた。そんな彼でさえ、常に中高一貫校の先取り授業と演習量の多さを意識し、とにかく問題を多数解くことにひたすら注力した結果、現役のときは「勉強法を完全に間違えて」不合格だったのだという。

ことほどかように、東大入試は奥が深い。

が、その一方で、なんでも吸収しようとする素直さに加えて確かな「戦略」があれば、案外東大合格って近いのかなあ、とも、漠然とだが感じた。ただし、その「戦略」実践には、中高時代、あるいは浪人時代にかけて、やはり多大な教育投資が必要であり、またそれを避けようとすると本人の多大な試行錯誤が必要になる。

問題は、それだけのことをして、東大に行く価値があるか否や? ということである。

東大女子

医学部よりも東大のほうが、いろんなことにチャレンジできるのは事実でしょう。

最高の頭脳に「自由」を提供するのが東大の魅力!?

僕は今回のインタビューに際して、各人に「医学部は考えなかったの?」というふうな質問をしてみた。

「東大でやりたいことがあったから」という反応が大部分かな、と予想していたのだが、案外、そんなこともなかった。「医学には興味があった」という人も何人かいた。そんな彼ら彼女らが医学部受験をしなかったのは「受ける大学がなかったから」だ。

つまり私立は学費の問題があるし、(自宅から通学可能な)東大理三や東京医科歯科や千葉大医は難しすぎるというものだ。「地方国公立は?」という質問に対しては、センター超高得点が必要ということと、家を出なければならないことに、やはり抵抗を感じている様子だった。そして、地方国公立医学部の地元生優遇策(具体的には、AOや推薦で必要となるセンター得点)を話すと、みんな一様にため息を点くのだった。

こんなふうに、東京の子たちにとっては、地方の子に比べて国公立医学部はかなりハードルが高いし、またセンター超高得点と東大二次対策は、なかなか両立しない。

さて、実は東大の入試も、以前に比べれば、かなり「普通化」しているらしい。地方の東大志願者が医学部に逃げるということもかなり意識しているという。あの、一般人から見れば、傲慢なほどにわが道を行ってぶれることのない東大が危機感を感じているということは、やはり非常事態なのであろう。そして医師を確保するために、東大志願者=日本の将来を担うべき秀才を医学部が食っているのであれば、それこそ日本の社会にとって「ウロボロス」現象ではないか、と思ってしまった。

最後に、今回取材した東大生が感じている東大のよさ、ということについていえば、その「自由さ」を挙げる人が多かった。独自の進振り制度を背景に「他の専攻の勉強もできる一方で、専門分野の研究室に一年次から所属できる」というものだ(一方の医学部は、当然ながら一年次からがちがちのカリキュラムであり、そうでないのは東大の理三だけだろう)。こうした東大の「自由」こそが、かろうじて日本の優秀な頭脳の医学部集中を防いでいるものなのかもしれない。

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