学校における創立者伝説

BMWはなぜ独自のグリル形状を持ったのか

BMWというクルマは、なぜ、キドニーグリルと呼ばれる独特の形状のフロントグリルを有しているのか――。

このことについての論証(?)を昔、自動車雑誌で読んだことがある。カーマニア(死語)として知られるミステリー作家の島田荘司氏によるものだが、僕は当時、毎号、同氏の連載コラムを食い入るように立ち読みしていたのだった。

なぜ、BMWはあの、ときとして「豚鼻」と揶揄されるグリル形状にこだわるのか。それは、島田説によれば、BMWという自動車メーカーは、欧州の他の自動車メーカーのような強烈な創業者伝説を有さないからだという。だから、自らのアイデンティティを、あのグリル形状に託している……。

欧州メーカーに限らず、自動車メーカーの社名は、創業者にしてカリスマ的エンジニアの名前がそのまま使われているケースが多い。ベンツ、ポルシェ、ルノー、フェラーリ、ホンダ、フォード、みんなそうだ。

しかしBMWという社名は、「バイエルン発動機」の略だ。日本のメーカーでいえば、ダイハツ(=大阪発動機)のようなものだろう。そして先のコラムによれば、ヨーロッパにはもう一つ、グリル形状にこだわるメーカーがあって、それはアルファロメオだという。アルファとは、「ロンバルディア自動車製造会社」の頭文字を採ったもので、これも創業者名ではない。つまり、アルファロメオの、あの独特な形状の盾型グリルもまた、創業者伝説を持たないメーカーの伝説の代替ということらしい。

と、BMWやアルファロメオに乗っているわけでもなければ、これから購入する予定もまったくない僕が、こんなことに興味を持つのは、いじましくも滑稽ではあるが、しかし、この創業者伝説というのは、学校にも大いに適用されると思うのである。

創業者、というよりも、学校の場合は創立者ということになるが、各学校とも、やっぱりその影響を色濃く残している。

ミッションスクールで「ミッション」が育つ理由とは

創立者が「伝説」になっている学校といえば、やはり早慶ということになるだろうが、この両校については後で触れることとして、まずは、ミッションスクールについて考察してみたい。

ミッションスクールの「創立者」は、教派によって異なる。たとえば、ラ・サールならば、ラ・サール修道会が「創立者」である。ただ一般的にはそれは、ラ・サール修道会という認識ではなく、単に「男子修道会」という認識だろう。いや、もっと広い「受け」としての認識もある。「創立者はキリスト教そのもの」というものだ。

ともあれ、そうした学校に行けば、やはり背中に一本筋が通った人間ができあがる、というふうには思う。「筋」とは、ごく乱暴にいってしまえば、自分は神様、イエス様から、自分がこの世においてすべきこと=ミッションを与えられた身だから、それを遂行しなければならない、という考え方だ。つまり、生きる目的が明確になる。

では、そうした「ミッション」の反対にあるテーゼとは何か。それは、ミッションスクールの対極にある学校は何か、ということについての考察にもつながる。そしてその学校とは、「実業家立スクール」ではないか、と、個人的ににらんでおります。

実業家立学校が育てるのは「コモンセンス」だ

「実業家立」といえば、たとえば灘校は、神戸の酒造家有志によって設立されたことはよく知られているし、また、浅野財閥による浅野中高、根津財閥による武蔵中高なども有名である。

それではこうした学校が育てる人材、あるいは教育の中核にあるものは何かと考えると……、すみません、例がよくないことに、今気づきました。これら学校は超進学校であり、その学風というか、育てる人材像には、多少エキセントリックな面があるからだ。

そうではなくて、たとえば先の例でいえば、同じ武蔵でも、中高とは性格が異なる武蔵大学だとか、あるいは僕の出身校の成蹊大学(三菱の四代目の岩崎小弥太が創立者の一人)、さらには五島慶太(東急の創始者)を創立者に持つ東京都市大学などを例にあげる方がいいかもしれない。

武蔵大にしても、成蹊大にしても、都市大にしても、要は、本当に普通の社会人を育てる学校である。では、「普通の社会人」が、心のよりどころとするのは何かといえば、それは「常識」ではないかと思う。そして、この「常識」こそ、「ミッション」の正反対のテーゼと言えるだろう。

何か、判断をせまられたとき、何をもって判断基準にするかといえば、それは「常識」である、という人は多いだろう。そして、そうして下された「判断」は、もしかしたら、「ミッション」を第一に考える人とは、違ったものになるかもしれない。

ただ、僕個人としては、この判断基準を常識に求める、もっとくだけた言い方をすれば「普通に考えてこうでしょ」というスタンスは、日本という風土における伝統的なものであると思うのだ。

だって、時代劇を見ていても、お奉行様の、「ふむふむ、そこもとの訴えは、この奉行にはなかなか“涼しげ”に響くぞ」なんていう台詞が出てくるが、この場合の“涼しげ”とは、「常識的に判断して」「普通に考えて」ということなのだろう。

早稲田出身者は母校に関心ないかといえば……

さて、これまでに述べてきたミッションスクールや実業家立スクールのほかに、一大勢力となっている学校群がある。いうまでもなく、「教育者立スクール」である。

その代表が、「早」と「慶」だ。

慶応の福澤諭吉は、教育者、思想家ではあるが、理想よりも現実に生きた人物であることは、よく知られている(て、福澤諭吉を説明するにあたって、こんなに大雑把でいいのだろうか)。このことと、いわゆる塾員たちが各種三田会を通じて実業界に大きな根を張っていることとは、無関係ではないだろう。

一方の大隈重信は、鍋島藩絶対主義の「葉隠」という思想から逃れたのちに早稲田を創立し、葉隠の偏狭さとはまったく別の理想を求めた。であるから早稲田には、一つの価値観に凝り固まり、みんなで一つの方向を向くのが大嫌い、という創立者伝説に基づく学風が、息づいているようにも見える。実際今でも早稲田のキャンパスを歩くと、一人でいる学生が多いことに気づく。若者たちが、「ぼっち」をこれだけ毛嫌いし怖れる風潮の中にあって、である。これは早稲田の素晴らしいところだと思う。

「葉隠」の教条が、逆説的に大隈重信をして早稲田を創立せしめたとも言えるかもしれません。

早稲田は、早稲田だからといって群れない。また、早稲田は早稲田に興味がない、というふうにも「評価」されたりもする。

ところが――。

先日、僕ともう一人以外は、全員早稲田出身という会合というか飲み会に出た。その席で僕は、「早稲田佐賀は前総長(2015年時)の白井先生の……」みたいな話題を振ってみたのだった。

すると、まあなんということでしょう。そこにいた早稲田出身者たちは、老も若も男も女も、いっせいに、総長の人事権は我にある、といったスタンスで、総長人事について語り始めたのだった(話は若干盛ってはいますが、少なくとも部外者の僕にはそう感じられた)。早稲田出身者って、早稲田に関心大ありじゃん……。

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