「令和」のコンセプトが今の若者に求められている!?
今、これを書いているのは、まさに令和元年の5月1日である。そしてこの「令和」という元号が持つ意味と大学入試改革の意図するところには、共通点があるようにも見える。このことについて考察してみたい。
まず元号と大学の関係であるが、それを冠した大学として、慶応義塾大学、明治大学、明治薬科大学、大正大学、平成帝京大学などが浮かんでくる。ちなみに平成帝京大学が校名変更して名前に「平成」を冠したのは平成7(1995)年だ。ということは、「令和大学」が誕生するとしたら、やはり7年後くらいが目処になるのだろうか。「令和になってすぐ」というのもいかにも節操がないし。ただ元号の登録については基準が厳格化されたそうなので、大学名に採用できるかどうかは未知数だ。個人的には、「令和」という語感は「令嬢」という言葉からの連想か、なんとなく品がよくて女子大にふさわしい気もしております。
さて、この「令和」だが、万葉集から採られたことも話題になっている。史上初めて、日本の古典にある言葉が用いられたのだという。安倍首相の談話によれば「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」とのこと。「和をもって新しいことを始めよう」と解釈してもいいのではないか。そしてこれは大学入試改革のコンセプト、すなわちこれからの若者の資質として求められることとまったく同じなのであります。
文部科学省は大学入試改革に際して「『学力の3要素』を多面的・総合的に評価するものへと転換することが必要」としている。「学力の3要素」とは、①「知識・技能」、②「思考力・判断力・表現力」、③「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度(主体性・多様性・協働性)」であり、大学新テストというと②をみるものというふうに理解されがちだが、より重要なのは③である。まさに「令和」ではないですか!
今はオープンイノベーションの時代だ。オープンイノベーションということを一個人の立場から解釈すれば、他者の発見や意見を租借し、自分の考えを加えた上で新しい価値を創出し、それをまた広く公開することで、社会全体の幸せの総和を大きくすることを目指す、さらにその社会の幸せを自分の幸せに還元させる――といったことになるだろう。この「幸せ」の部分を「利益」に置き換えれば、企業行動指針にもなりえる。
大空翼と星飛雄馬の必殺技開発の姿勢を比べてみると……
そしてこうしたオープンイノベーションを大昔から体現していた人がいる。漫画(およびアニメ)『キャプテン翼』の主人公、大空翼くんだ。
翼くんの大きな特性として「他のプレーヤーの(必殺)技をすぐに自分のものにしてしまう」ことが挙げられる。盟友の石崎くんなどはそれを「天性のサッカー小僧(の特質)」と賞賛している。
若干、話がオタ的になって申し訳ないのですが、翼くんの究極の技のひとつに、スカイウイングシュートというものがある。もともと得意としていたフライングドライブシュートに、ライバルであり日本代表ではチームメイトでもある日向小次郎くんの雷獣シュートのノウハウ(?)を採りいれ、パワーアップさせたものだ。重要なのは、このスカイウイングドライブシュートを披露したとき、日向くんは「翼のやつ、パクりやがった」とは思わなかったことだ。ひねくれものとして描かれがちな日向くんが、石崎くんと同じように素直に翼くんを賞賛するのである。
こうした翼くんと対照的なのは『巨人の星』の星飛雄馬ではないか。
飛雄馬の必殺技である大リーグボール2号、消える魔球はノウハウの塊だ。そして消える秘密を解き明かせば打つことができる、というふうに物語は展開していく。ライバルの花形や父親の星一徹が知恵を絞って挑戦した結果、消えるノウハウは白日のもとにさらされ、飛雄馬は敗北しマウンドを降りる。
実は飛雄馬は大リーグボール2号の開発に先立って、いったんは破れさりもう通用しなくなったと思われていた大リーグボール1号の改良(=イノベーション)を川上哲治監督に打診される。しかし飛雄馬はそれを安易な道として却下(よくも監督相手に一選手がそんな挙に出られたものです。もちろんこのとき、川上監督は激怒している)、大リーグボール2号の開発に着手する。それが飛雄馬の美学であり生き様でもあった。
それはそれで昭和のスポ根漫画の主人公としては正しいあり方なのだろうが、しかし、現代の若者に求められる資質は、飛雄馬よりも翼くんタイプのものだろう。他者のよいところはどんどん取り入れて、自らをイノベーションしていく姿勢だ。さらにそのベースには謙虚さが必要である。翼くんがなにに対して謙虚かといえば、それはサッカーの神に対してであり、サッカーが上手くなるためにはなんでもするという「オープンマインド」がある。
そこへいくと飛雄馬は、やっぱり独善的だ。もっともこの独善は、飛雄馬にとっての野球の神である父・一徹の教えに忠実であるがゆえであり、そのあたりはドラマとして非常に泣けるところなのだが、ここでは関係ないので措いておく。
ともあれ今は、「独善」より「オープンマインド」が求められ、学校現場も、そうした資質を育む方向へとイノベーションしている。
日本人の得意な「和」がグローバルイノベーションを起こす!?
たとえば、先進的な取り組みを行っている中高一貫校では、プロジェクト・ベースド・ラーニング(PBL)というものが実施されている。「自ら問題を発見し解決する能力を養うことを目的とした教育法」と定義されているが、テーマ設定→調べ学習→発表→討論→再考察といった過程を踏むケースが多い。大学のゼミ発表と似ている。
こうしたPBLの授業を取材すると、まさに「オープンマインド」前提だということがよくわかる。生徒たちは他者の意見を聞きたがり、ときには「なんか言え!」と強要し(これは女子から男子に対して行われるケースが多い)、新しい知見を加えていく。その結果として、次回の発表内容は確実にイノベーションしていることだろう。
そうしたことがなんのてらいもなく行われていることは、筆者のような飛雄馬世代にとっては驚異ですらありますね。大学入試改革に着手されるずっと以前から、「言語活動」というかたちで「授業のなかで意見を言う」「その意見を受け入れる」に注力してきた教育の成果だろう。
さて、「令和」に話を戻す。この「令和」は、万葉集より採られたと冒頭に記したが、実は安倍首相は、それに先立って3月の時点で、「元号の出典は日本で書かれた書物がいい」と述べていたそうだ。
もともと安倍首相は、色紙などには「和を以て貴しとなす」と書くことが多かったという。ご存じ、聖徳太子の「十七条の憲法」の、一番はじめ(したがって一番重要と太子が認識していた)にある一節だ。
この「和」という概念は、非常に深く日本人に浸みこんでいる。日本人の行動規範と言っていい。だからこそ日本の旧国名は「倭(わ)」であり、それが中国に押し付けられたあまりよろしくない字だとわかると「大和」に変更したとのことだ。
ではなぜ「和」が大切かといえば、これまでは共同体の連携や仲間意識を保つため、と解釈され、「ことなかれ」主義にも通じるものとされていた。しかしこれからの時代を担う若者にとっては「和」の意味は違ってくるだろう。つまり、翼くんやPBLで学ぶ生徒たちのように、他者を受け入れ、その考えや能力を自分のものにするために必要な「和」である。
そういうふうに考察を進めると、「和」が民族の規範として根幹にある日本人は、グローバルなオープンイノベーションの時代にあって、大きなアドバンテージを持つのではないか――。一人の日本人の保護者としての欲目(?)もあり、ニンマリもしてしまう。
「令和」の考案者は、国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏ではないかと推測されている(もう確定?)。国際日本文化研究センターは、文科省の外郭機関だ。ということは……。「令和」は教育改革とリンクしたものであり、その教育改革の主役である若者たちへのメッセージではないか、そんなふうにも思えてくるのだ。考えすぎですかね?