インテル・ミラノと移民受け入れと学校選びと

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世界中のクラブから「日本代表」に集う喜び

サッカーオタク同士の会話の、永遠ともいえるテーマに「代表チームと強豪クラブチームとどっちが強いか」というものがある。

たとえば2014年のW杯は、バルセロナ(メッシ&ネイマール&イニエスタ)とレアル・マドリー(クリスティアーノ・ロナウド&シャビ・アロンソ)の代理戦争、みたいなことが開幕前に喧伝されていたのに、結果的には、バイエルン・ミュンヘンの選手を多く擁するドイツ代表が優勝してしまった。が、そのバイエルン・ミュンヘンにしたところで、その年春のUEFAチャンピオンズリーグ準決勝では、レアル・マドリーにちんちんにやられてしまっているわけで、代表チームとクラブチームの力の相関関係というものは、やっぱりどーもよくわからないところがありますね。

さて、クラブチームと代表チームの関係といえば、個人的には大昔、小学生の頃、サッカーにめちゃくちゃ詳しくて実技も上手だったAくんが、「ワールドカップって、世界中のいろんなチームでプレーしている選手が、このときだけは国の代表として集まって一緒に闘うんだぜ。すげーだろ!」と、まるで自分のことのように自慢していたことを思い出す。

当時はそう聞いても、サッカー知識ゼロ(むろん実技も全然ダメ)で鉄道オタクだった僕には、いまひとつピンと来なかったのだけれども、大人になってからは、例のドーハの悲劇などを通じて多少のサッカー知識も身につき、このAくん発言についても理解できるようになっていた。そして今回のW杯で、単に知識としてではなく、日本人として心の底から感じ入ることができた。

そしてまさに近頃の日本代表は、「世界中のいろんなチームでプレーしている選手」が「日本代表」という旗印のもとに集っているのだから、まったくもって感無量であります。個人的には、数十年前のAくん発言が、長い年月を経て日本代表においても適用されたことに本当に感動したのでした。

ところで、その日本代表であるところの長友や本田や香川が所属していたクラブのことに思いをはせると、僕は、最近話題になっている「移民受け入れ問題」を連想してしまうのである。

長友はミラノ上流階級の奉仕人か?

ご存じの通り、長友はインテル・ミラノ、本田はACミランという、イタリアサッカーのトップディビィジョンにおいて、ともにミラノに本拠地を置くクラブに在籍していた。では、この二つのクラブの性格がどのように違うかといえば、インテル・ミラノは、主に上流階級やブルジョワ階級を支持層としているのに対し、ACミランは労働者階級を主な支持層としているとのことだ(サッカーオタクによる)。

インテル・ミラノは、「インテル」という名の通り「世界中から、国籍に関わらず、優れた選手を迎え入れる」というコンセプトを有している。で、このコンセプトは、うがった見方をすれば、インテル・ミラノの支持層たる上流・ブルジョワ階級の人間が抱く「自分たちのために外国人が一生懸命奉仕してくれている」というある種傲慢な思いに通じるところがあるのではないか。彼らにとっては、長友も、おそらく「奉仕人」の一人だったのだ。

インテルミラノ観客

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一方のACミランはといえば、むろん世界的なビッグクラブであり、それゆえにインテル同様、本田も含めて多国籍軍なんだけれども、ただ伝統的にイタリア人の選手を大切にしてきた。支持層たる労働者階級は、自国選手でないと、なかなか思い入れできないからだ。労働者階級が国粋主義的になるのは世界の常識であり、例外は日本だけだろう。

もちろん最近では、両チームの支持層の区分けは明確にはできないらしいし(ウィキペディアによる)、チームとしての性格付けもあいまいであるけれども、あくまでも伝統としてはそういうふうになっている。

こうした事情は、香川が所属していたマンチェスター・ユナイテッドと、同じマンチェスターを本拠地とするマンチェスター・シティについても同じだと言えるだろう。マンチェスター・ユナイテッドは上流階級やブルジョワ階級を支持層とし、マンチェスター・シティは労働者階級を支持層としている。だから、マンチェスター・ユナイテッドは多国籍軍であり、名前も「ユナイテッド」だ(名前の由来には、諸説あるらしいが)。一方のマンチェスター・シティは、むろん今はACミランと同じく多国籍軍化はしているのであるが、しかし伝統的には、イングランド出身の選手を中心にチームを構成してきた。労働者階級の「思い入れ」を具現化したゆえの「シティ」ではないか。そんなふうにも感じられる。

このような、インテル・ミラノとACミラン、あるいは、マンチェスター・ユナイテッドとマンチェスター・シティのコンセプトの違いを一言でいえば、「才能を広く世界から集める」か「フランチャイズプレーヤーを大切にする」か、である。そして、この“対決図式”が、実は今の日本において、全社会的に行われようとしているのではないか、という議題提案が、本稿の趣旨であります。前置きが大変長くなってすみません。

支配階級にとって「移民」はそりゃ必要でしょうよ。だけど……

インテル・ミラノやマンチェスター・ユナイテッドといったクラブの外国人選手を、今の日本で検討課題になっている「移民」と置き換えると、なんだかしっくりくるように思える。

日本の社会の上層にいる人にとっては、移民たる外国人だって、他の日本人同様、自分たちに奉仕する人間と定義付けているのだろうから、そりゃ多けりゃ多いほうがいいのだろう。インテル・ミラノの伝統的な支持層と同じく、そんな傲慢な思いを抱いているように見える。

これは一般人の印象なのだが、もうちょっと細かく分析(?)もできる。

たとえば、この移民受け入れについては、大手メディアも大方、賛成のようだ。普段は、政府自民党のやることなすことのすべてが気に食わない大手メディアも、この一件については妙に理解がある。

それはそうだろう、と思う。大手メディアで働く人たちは、自身の子どもの行く末については、移民とかそんなことはまったく関係なく、おそらくなんらかの見込みが立っているのだろう。

このあたりの事情は、公務員も同じなのかもしれないし、年金生活者にいたっては、自分の年金を担保してくれる負担者が増えるのは、大歓迎なのは間違いない。だからこそ僕は、余裕があるおじいちゃんおばあちゃん世代に、孫の学費の一部を負担してもらうことはなんら愧じることのない正当な行為であると、個人的には考えております。

ともあれ、移民問題については、税負担者が増えることでトクする層と、そうでない層とでは当然ながら、賛成か反対か、違う立場になる。

今あげた、社会の(本当の意味での)支配層、マスコミ、公務員、年金生活者は、移民ウェルカム、ということになるのだろう。あたかもインテル・ミラノの支持層と同じく、「インテル」な人たちは、自分たちへの「奉仕人」となるからだ。

わが子は日本のフランチャイズプレイヤーだから!

ところが、一般の現役世代の日本人、とくにこれからわが子を社会に送り出さねばならない保護者にとっては、「才能を広く世界から集める」というコンセプトのもとやってくる優秀な外国人は、雇用というパイを、わが子と奪い合うライバルになってしまう。

今でさえ、大手企業の採用において、日本への留学生を含む外国人の割合が非常に大きいというのに、この上、優秀な外国人がどんどん流入してきたら、と考えるとやっぱり不安だ。とくに女子にとって、就職に困らないとされている看護師という職さえ侵食されてしまうのでは? などと心配になるのである。

では、どうすればいいのか。やっぱり、「フランチャイズプレーヤー」たるわが子に、国際競争力を身につけさせるしかない。という、至極、当たり前の結論にたどりつく。むろん、次のページから紹介していく各学校も、そのことを至上課題としているようだ。今後、日本にやってくるであろう優秀な外国人に負けない資質が身に付く、ということが、中学選び、高校選びの一つのものさしになるのは間違いないところだろう。

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