「学級委員長」の変遷

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クラスの人気者が学級委員長になるの法則!?

学級委員長、というものについて考えてみたい。ご存じのように今と昔ではその存在はずいぶん様変わりしているし、後で触れるが、学級委員長そのものがない小中学校も多い。

個人的なことを言えば、僕の小学校時代というと本当に大昔だけれども、「学級委員長」は、そのプレゼンスがかなり大きかった。

ちなみに僕は学級委員長になったことが一度もない。学力なし、運動神経なし、人望なしの「三ないくん」だったからだ。逆に言えば当時、学級委員長は、成績もよくスポーツも万能でクラスの人気者、というタイプの児童・生徒が選ばれるのが通例だった。

が、「三ない」だった僕にしても、学級委員長になってみたいなあとは、なんとなくは思っていた。というのは、僕が通っていた小学校では、学級委員長および副委員長になると「委員」と記された記章というかバッジがもらえたからだ(単なる物欲です)。

そのバッジのデザインは、我ながらいじましいことに今でもよく覚えているのだが、薄いグリーン地に「委員」という赤い文字、それを白いリボンが囲んでいる、というなかなか洒落たものだった。

あるとき僕は、学級委員長の“常連”であり、バッジをいつも付けていたKくんに「いいなあ、それ」みたいことを(かなり)思い切って言ってみたのだった。

Kくんはといえば、当時の学級委員長の定義通り、頭脳明晰、運動神経抜群、容姿端麗(今現在の頭髪状況勝負では、僕の方が勝っているが)で、まあ画に描いたような「学級委員長」だったのだ。

当時の僕がKくんに勝てることといえば「鉄道の駅名暗記およびその暗誦の速さ」だけだったけれども、なんでも一番じゃないと気がすまないKくんはこの分野にも侵攻して来て、元々有している頭のポテンシャルの違いもあったのだろう、たちまち僕を上回るようになった。

しかし、だからといってKくんが嫌なやつだったわけではなく、僕の、委員バッジについての控えめなリクエスト(?)に対しては「じゃ一個やるよ」とあっさり言って、次の日持ってきてくれたのだった。前述したようにKくんは学級委員長会の常任理事国のような存在であり、一方バッジは学期ごとだか学年ごとだかに支給されていたので、彼はたくさん持っていたのだ。

学級委員長は社会のリーダーになるための訓練?

で、そのバッジを僕は、ずいぶん後まで大切に取っていたような気がする。なんていじらしいんだ!

しかし考えてみれば、学級委員長に「委員バッジ」を与えるとは、公立学校にしてはずいぶんと大胆な行為である。今だったら大変な物議を醸してしまうだろう。

奈良の「野崎旗店」さんのウェブサイトより。まだあるんですねー。

では、当時の小学校の「委員バッジ」に、学級委員長と一般児童との差別化の意図があったかといえば、それも違うだろう。どの先生でも誰が委員長かすぐわかるようにという、きわめて即物的なものだったに違いない――前述のように委員長になる子は決まっていたので、そうする必要もあまりなかったのだが。

そうではあったけれども、その委員バッジは、Kくんにいっそうの光彩を与えていたのは事実だった。

当時、学級委員長という制度は、優秀な人間にロールを課すことによってよりそれらしくするという役割を有していた。その象徴が委員バッジだった――と、今思えば、そういうことになる。当時の学級委員長制度は、まさしく選良=エリートをつくるためのもの、というと言いすぎかもしれないが、少なくとも、先々リーダー役を積極的に引き受ける人間をつくるためのものだったと言ってもいいだろう。

Kくんにしたところで、僕らが出た小学校のPTA会長を、彼の三人の子どもが在籍中ずっと(僕の目からすれば)喜々としてやっていたし、また頼まれもしないのに(たぶん)、やはりその小学校の野球クラブのコーチなども買って出ていた。

このあたりのことは地縁とも関係していて、学校と地縁というテーマはそれはそれで興味深いものであるので、いつか考察してみたくはあるが、ともかく、そうしたKくんの「やりたがり」は、学級委員長の経験によってかたちづくられたものだろうし、重要なのは、そうした「やりたがり」がいなければ社会は機能しないということだ。

ちなみに当時は、小学校の児童会も、今とは違い完全にピラミッド型になっていた。つまり、4~6年の各クラスの学級委員長と副委員長で児童会が結成され、うち6年の学級委員長数名のうちから児童会長が選ばれるという、まるで学園ドラマに出てくるようなシステムだったのである。

さらに今からすれば驚くべきことに、学級委員長が常任化していて、なおかつそれにバッジが与えられる(特別であることが学校公認となる)ことに、PTAなどが、とくに異議を唱えなかったのである。当時のPTAは、そんなことよりも『ルパンⅢ世』の峰不二子がエロすぎるだとか、『赤き血のイレブン』に出てくる必殺シュートを子供が真似すると危険、といったことの「追求」にケツドウをあげていたのだ。

さて時代が移って、選良たる学級委員長というものは、その存在を徐々に否定されるようになった。

教育現場としては、一人のスーパーマンにクラスを託すよりも、一人ひとりが自分の役割を大切に、というふうにシフトしていったのだろうし、何よりも「個性尊重」「全員平等」が徹底的に徹底してきたからだ。また「学級委員長」という存在の裏には、僕のように屈折した感情を持っている子もいて、それが顕在化したという事情もあると思われる。

現代的な「学級委員」の姿とは

今、学級委員長を設置するかしないかは、学校によってまちまちだけれども、ただし学級委員長を設置している学校でも、あくまでも他の、体育委員やいきものがかりと同列の「学級委員」である。昔の学級委員長が幹事長ならば、今の学級委員は総務会長のようなものか。

そして児童会はといえば、学級委員とは別に計画委員(名称はまちまち)が存在し、それが児童会を形成するというケースも多い。つまり児童会も学級委員とは並列の存在であり、このあたりも、先に述べたような昭和的ピラミッド型組織(というのも大げさですが)とは異なっている。

さらに学級委員の選び方も、クラスへの参加意識が希薄な子をあえて学級委員にする、という考え方も台頭しているようだ。

かつてアトランタ五輪のサッカー日本代表チームでは、いかにも学級委員長タイプの川口能活ではなく、「肩書き」がなければチームから心が離れていきそうな前園真聖をあえてキャプテンに指名した、みたいな話を何かの本で読んだ記憶があるが、それと同じ考え方なのだろう。

しかしここに来て、公立小中学校で学級委員長制度を復活しようじゃないかという動きも出ているという。昭和的なリーダーとしての学級委員長を、ということらしい。

これはおそらく、脱ゆとりの一環としてのものだろう。

ゆとり教育は、学習内容削減だけでなく「みんな違ってみんないい」「世界で一つだけの花」といったメンタリティの部分での「ゆとり」ももたらした(それはそれでいい点もあったと思います)。

そして今は、「ゆとり」を否定するものならなんでもいいという風潮が確かにあり、だから「ゆとり」以前の「学級委員長」を復活させよう、というふうになったようにも見える。また学級委員長(制度)を復活させることによって、ゆくゆくは社会のリーダーとなる人材を、小中学校時代から育てようという意図もあるのだろう。

ただ、昔ながらの学級委員長が、そうした意図通りに復活できるかといえば、それは疑問である。というのは、学校のヒーローあるいはリーダーとしての昭和的学級委員長は、決して意図されたものではなく、保護者を含めた全学的コンセンサスの上に成立していたからだ。なにしろ、峰不二子がけしからんというPTAも、「〇〇くんが常任理事的に毎回学級委員長になる」なんてことを、当たり前のように受け入れていたのである。

そうした「コンセンサス」は、教育委員会や学校の「意図」よりもよほど重い。だから今、反ゆとりの教育施策が次々と打ち出され、大方は成功しているようだけれども、この学級委員長(復活)ばかりは上手くいかないだろうなあ、と思うのである。

そうではあるのだけれども、もし自分の子が、昭和的なリーダーとしての学級委員長になるようなことがあれば、大半の保護者はやっぱり誇らしく感じるのではないか。僕だったら「委員バッジ」を個人的に発注してしまうかも(馬鹿)。

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