大学入試改革とともに、おっさんも新しい時代に踏み出したいのである!

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アルコール起因の低血糖で倒れてしまった

個人的なことから書き始めて大変恐縮だが、この2月3日で酒をやめて2年となった。意思がきわめて弱く、かつ2年前までは大酒飲みであった僕が、なぜ2年間も断酒生活を続けられているのかといえば、これは大学入試改革ともつながっている。

話の順序として、酒をやめた経緯をお話しさせていただくが、要は多くの禁酒者・断酒者と同様に倒れたからだ。ただ、酒を飲んで倒れたのではなく、飲まないがゆえに倒れた、というのが相違点だ。仕事が立て込んで酒も飲まず食事もあまり摂らずいたら、いきなり手足がぶるぶると震え、身体がまったく動かなくなってしまったのである。

医者がいうには低血糖とのことで、つまり僕の場合、これまでは酒を定期的に飲んでいたから血糖値が保たれていたのであり、それを飲まずにいたら、身体が血糖を上げる術を持たず急降下させてしまったという理屈になるらしい。

ともあれ、そうしたアル中体質を一から改善しなければならないというわけで、禁酒生活というか断酒生活に突入したのだった。

とはいえ、なにしろ毎晩のように大酒くらっていたので、当然のように少し調子が戻れば飲みたくなる。しかし、そうやってすぐに再飲酒してしまっては周囲に申し開きも立たないので、しばらくは我慢もしていた。ただ、やっぱり飲みたい……、飲んじゃえ飲んじゃえと心に中の悪魔が囁く……ということで、僕は、酒をやめるために教育入院を検討中ともらしていた友人(ま、そいつもアル中ですな)に電話をし、その教育入院とやらについて訊こうと思い立った。すると、ちょうど彼(以下、アル友)も入院はしていないけど1ヶ月あまり断酒中ということで、それから二人三脚で、まあなんとか2年間がんばってきた、という次第であります。

えーとすみません。皆さまが興味もないであろう個人的な話を長々と続けて申し訳ありませんが、必ず大学入試改革につながりますんで、もう少々我慢をば、お願いいたします。

というわけで断酒生活に突入したのだが、酒は飲まないけれど飲み会には参加していたし、参加させられてもいた。アル友は仕事仲間でもあるので、一緒のときもあった。そして飲み会のメンバーが「じゃ二次会は昔懐かしいソウルがかかるバーに行こう!」みたいになったときは、アル友と僕はファミレスに行って、深夜、おっさん二人でパフェを食べていた。

そしてそんなふうに素面で飲み会に参加していると気づくことがあった。飲み会って、皆さん、あまり有益な話はしていない……(失礼!)。思えば僕は、社会人になってからこっち、飲むこととはコミュニケーションの円滑化であり、それ以上に貴重な情報を得る場というふうにとらえてきた。しかし、酒を飲む場で飲まないでいると、どうもそういうことでもないぞ、ということに思いあたったのだった。

「AIの脅威」が叫ばれるずっと以前から……

と、ここで話はようやく大学入試改革の話になる(前置きが長くてすみません)。

大学入試改革は単なる入試改革ではなく、また教育改革という枠すら超えて若者の資質改革だ。とすれば、それに関わる教育関係者や保護者も自らを改革していかなければならない、ということが言える。

この点、これはお世辞でもなんでもないのだが、学校教職員や塾関係者は、非常に早い段階から、自らと教え子たちを新しい時代に適合させようとしてきていて、これはまったくもってリスペクトしてしまう。たとえば今、さかんに話題になっている「AIの脅威」や「シンギュラリティが人類に何をもたらすのか」といった点についても、もう7~8年くらい前から真剣に考えていたのである。また、アクティブ・ラーニングというものが注目されるずっと前から言語活動に取り組み、それは小学生の資質を確実に変えてきた。今の子は発言することにてらいがないというから、資質改革のベースはすでにできているのだ。もちろん、「発言することにてらいはない」は個人の性格によるものだが、ただ間違ったことを言ってもからかわれない雰囲気を学びの場に長い時間をかけて浸透させてきたことは、日本の教育界が誇っていいものと思われる。

「イノベーター理論」というものがあって、新しい事象への適合の度合いから、世の人々は「イノベーター」「アーリーアダプター」「アーリーマジョリティ」「レイトマジョリティ」「ラガード」と分類されるそうだ。「ラガード」とは聞きなれない言葉だが、「遅滞者」と訳され、時代をキャッチアップできない人と定義できる。その伝でいくと、教育関係者や言語活動で育てられた子どもたちは「イノベーター」「アーリーアダプター」だ。ひるがえって、僕の仕事関係者や先輩のなかにはあきらかに「ラガード」な人もいる。卑近な例では、「インフルエンザの予防接種などしない」という人がいて、その理由は「今まで罹患したことがないから」である。この人は編集者であり取材などをするケースも多いので、その点ではあきらかにコンプライアンス違反であると同時に「経験則をエビデンスにする」という前時代的な考え方をしている(すみません。仲のいい人なので、例として用いさせていただきました)。そして僕がこうした発言をどこで聞くかというと、酒の席であったりする。

いやいやいや、もちろん他人のことは言えなくて、僕だって取材をする仕事ではなくて、なおかつ日常的に酒を飲んでいたら、「インフルエンザ予防接種代があれば、一回飲める」というふうな思考をしていたに違いない。そういう自分も含めて、酒というもの、飲酒をするという行為が、今では僕にとっては「ラガード」のアイコンになっている。

新しい時代を生きたいという本能的要求

もっとも僕らのようなおっさん世代は、若者と違って、別に「ラガード」であっても困ることはない。僕にしたところで、現役のうちにAIに仕事を奪われることはおそらくないだろう。

しかしそれでも僕は、若者や子どもたちや保護者の皆さん、そして教育関係者とともに新しい時代に踏み出したいのだ! これはもう仕事など関係なく、なんというか本能的なものであり、だからこそ、意思の弱い僕が2年も断酒を続けられている理由でもある。

思いおこせば、飲酒していた時代は、東京目黒区の安飲み屋の集積地である武蔵小山という街で飲んでいて、自宅は世田谷区なのに、気がつくと埼玉県朝霞市の駅のベンチにいた……、なんてこともしばしばだった。いずれ駅のホームから落ちて死んでいたかもしれない。そういう仮定を重ねていくと、大学入試改革をきっかけとした意識改革への気づきが命を救ってくれたという理屈も成立する気がしてきて、実にありがたいことなのである。

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