AIと競合するわが子に、何ができるのか

perianjs / Pixabay

『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』の世界は実現したか

昨年2015年は、1990年公開の『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』で示された未来、まさにその年だった。だから年末に映画チャンネルでも、バック・トゥ・ザ・フューチャー特集をしていたのだろう。

それでは、その『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』で描かれた「未来」のどの程度が、現実の2015年現在で実現しているのか。

たとえば、音声で指示を受けるコンピュータやテレビ会議システム、3D映画や3Dプリンタ、飲食店における自動オーダー&デリバリシステムは当たり前のように実現しているし、眼鏡型のコンピュータも一般的ではないけれどもあるという。また自動的に足にフィットするスニーカーも、今年、NIKEが発売するのだそうだ。結構な実現率なのである――というふうに言っても、納得できない方も多いのではないか。僕も書いていてなんとなく納得できない。

だってそりゃそうでしょう。なにしろあの映画で一番衝撃的だったのは、例の空飛ぶスケートボード(ホバーボード)と空飛ぶクルマであるし、本命(?)のそれらが今現在、実用化されていないからだ。

まず、空中に浮かぶスケボーのことを考えてみる。やはり道交法という壁を破って、あのような夢のマシンが現代の世の中に出現するのは難しいと思われる。「社会的に無理」というわけだ。しかし、それだけではないだろう。技術的な側面を考えても、動力はじめ難しいことが多そうなことは文型脳でも理解できる。空飛ぶクルマについても同様だ。

つまり、とふたたび文系脳で考える。要は、先にあげた音声で指示を受けるコンピュータやテレビ会議システムのように、AI(人口知能)だけでほぼ実現できるものは比較的実用化が早いのだ。しかしホバーボードや空飛ぶクルマのように、AIだけでなく、メカトロニクス的技術を必要とするものは実現に時間がかかると、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』を観ていてあらためて感じた次第である。

思い起こせば、僕らが子どもの頃(1970年代)、小学館の学習図鑑というものがあった。その交通の図鑑には、「二一世紀の交通」として空には超音速旅客機が飛び、チューブのなかをリニアモーターカーが走り、高速道路には浮遊する自動車が走る、といった按配だったと記憶しているが、僕は、リニアモーターカーや浮遊する自動車の実用化を見ることなくジジイになってしまった。

ただし例外もある。このうち超音速旅客機は、なんと二一世紀を迎える24年前、1976年に実現してしまっている。そう。コンコルドである。しかしながらコンコルドは、2003年をもってして引退。その引き金になったのは2000年の墜落事故とされているが、結局のところ、騒音問題や運行コストの問題など、技術が社会の壁を破れなかった事例といえるかもしれない。「社会的に無理」だったのだ。

教育界は以前からAIの脅威を感じ取っていた

さて昨年末といえば、印象的なCMが流れ始めた。IBMのコグニティブコンピューティングシステム「Watson」のものである。いわく――。

日々、私たちが生み出す膨大なデータ/現在のテクノロジーでは/その80パーセントは利用できません/それを可能にするのが/IBM Watsonです/「こんにちは、Watsonです」/理解、推論、学習する/コグニティブ・システムWatsonが/あらゆるビジネスをコグニティブに/思考するビジネスが/新しい時代を切り拓きます

というふうな「夢」を語っているのだが、実はこれは本当に恐ろしいことだ。僕は個人的には、このコマーシャルに最初に接したとき、ついに来るべきときが来てしまったと暗澹たる思いにとらわれたのだった。

AIの脅威

geralt / Pixabay
この原稿は2016年時点でのものですが、わが子に対するAIの“脅威”は、ここ数年で指数関数的に増加しているように感じます。

コグニティブシステムとは、今では一般的になりつつある言葉なのでご存知の方も多いと思うが、IBMのコマーシャルにもある通り、自らの経験を統合し学習し推論できるコンピュータのことである。

実際、IBMに限らず、コグニティブコンピューティングというものが、ここのところ非常に身近になっているようにも感じる。僕のような典型的文系脳の広告屋のところにも、コグニティブシステムを用いて顧客の業務をアウトソーシングする外資系企業の仕事が舞い込んできたりもする。ただし僕の場合、学校関係の仕事を数多くさせていただいているので、そうしたときにもあまり困らなかった。コグニティブシステムに代表されるAIの進出は、もうずいぶんと前から教育・学校業界では危機的にとらえられていて、それなりの知識もあったからだ。

「2045年問題」ということが、教育業界ではよく語られている。今から二九年後、現在、中学受験を視野に入れようかという一〇歳児が三九歳、まったくの働き盛りになる年である。そのとき、AIが人間の知能を超え人間を支配し始めるという予測である。そして、そうした時代を生きる人間を育てるにあたって、私たちはこうしていますよ、ということを主張するのが、各学校がガイダンスなどでこの問題を取り上げる理由である。

これまでコンピュータは、単純な作業を代替するものであった。たとえばDTPシステムは、グラフィックデザイナーを烏口を使った線引きや版下貼りから開放し、その分、より自由にクリエイティブな翼を広げることを可能とした、と喧伝された。

しかしながら今後は、第六世代といわれるコグニティブシステムが、そのクリエイティブワークを含む知的労働を代替するものになる。繰り返すが、これは非常に恐ろしいことだ。

そこで話は、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』に戻る。

『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』の世界では弁護士制度が廃止になっている。それはそうだろう。過去の事例に照らし合わせて、最適解を導き出す。なんとまあ、コグニティブシステムが得意とすることではないか。これは、内科医についても同じことが言える。すなわち、弁護士や医師というエリート職とAIは競合するのである――ここで、コグニティブシステムとAIの言葉の定義をしておくと、確かにIBMなどは両者の違いを明確化し、コグニティブシステムのIBMというふうなイメージを打ち出そうとしているが、ただ一般的には、コグニティブシステムはAIをさらに進化させるための要素、あるいはメソッドと考えればよいと思われる。

そういえば、今年(2016年)1月28日の朝日新聞に「人口知能 囲碁プロに初勝利」という記事があった。

そこで思い出すのが、AIがはじめてチェスの王者に勝ったときのことだ。一九九七年のことだった。そのとき、「将棋や囲碁は、チェスに比べて圧倒的に場面の数が多いので、AIが人間に勝つのは無理」と評されていたのを覚えている。ところが2013年には、AIは将棋でもプロ棋士に勝利した。そして今回、囲碁でも勝利したというわけだ。ここで注目したいのは、チェス勝利から将棋勝利までが十五年以上かかったのに対して、将棋勝利から囲碁勝利まではわずか二年だということだ。

チェスの場面数は10の120乗、将棋は10の220乗、囲碁は10の360乗とのことである。乗数で100違うということがどれだけ違うのか文系脳では想像もつかないが、おそらく宇宙的な単位になるのだろう。そして、10の120乗→10の220乗の克服にAIは十五年以上要したが、10の220乗→10の320乗は、たった二年でクリアしたということだ。やはりAIの進化は、加速度がつくのである。

頭脳労働に取って代わるから脅威なのだ

『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』をもう一度思い出していただきたい。冒頭で述べたように、AIだけで実現できるものは実現がきわめて早く、メカトロを必要とするものは実現が困難である。これを、AI=頭脳、メカトロ=肉体と考えると、やっぱり今後は、多くの頭脳労働がAIに取って代わられるであろうという恐ろしい結論に至ってしまう。むろん「2045年」を待たず、そうした傾向は年毎に顕在化していくだろう。

そうした局面では当然、どんどん人間の労働コストは安くなるだろうから、ロボットが代替するにもコストが合わない仕事のみ人間にまわってくるのではないか。①人間→②AI→③人間という階層が生じてしまうのではないか。

それでは、AIに負けない人材をどう教育していくか――。それこそ、各学校や識者がさんざん論じていることなので、僕のようなものがいまさらここに書き記す勇気もないといったところだが、ただ素朴な文系脳、あるいは親馬鹿脳で考えることもある。

私たちの子どもは、私たちがまったく知らない世界、「お父さんやお母さんが若かった頃は……」という経験値がまったく無力になる時代を生きていく。だから、保護者世代がそのことをきちんと踏まえ、心を虚しくしてそうした世界や時代に立ち向かうべきではないか。その上で情報収集したり学校を選んだりということが、AIと競合するわが子に保護者としてできることではないかと思う。またこれ以上のAIの普及が「社会的に無理」という社会を、選挙などを通じてつくっていくこともまた、私たちができることではないかとも思ったりするのである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする